娘がASDと診断されたこの一年で、私の人の見方はずいぶん変化した。
私の性格上、また職業柄、考えや意思をはっきりと伝えることが最善だと考えてきた。
「嫌な顔(表情)をするなら『嫌だ』と言えばいい」
「陰で文句を言うから悪口になる。意見があるなら話し合えばいい」
と、信じていた。
意見は尊重されるもので、自分が自分の意見を尊重しないければ、誰がするの?
「伝える」という尊重の手段を取れるのは自分で、話し合いは相手の意見を尊重する機会で、だから大切だと思ってきた。
しかめ面をする娘に「言いたいことがあるのに黙ってるのはおかしいよ」と、幼いころから言ってきた。
でも、娘は言わない。
言わないことに腹を立てて、何度も親子喧嘩をしてきた。
そんな私が、娘のASDの診断を受け、ASDのこと大人のASDの困難さを知るうちにそれができない人、無理な人がいること、そのことに苦しんでいること、そして、それがそれほど最善策でもないということがわかってきた。
わかった今、娘の言葉を待ち、表情の裏側を想像してあげることができるようになった。
娘の行動を自分の常識に当てはめて考えなくなった。
(まぁ~、毎回はそう上手くいかないけどね)
たとえば今日。
予約の変更を電話で連絡しておくように頼んだ。
すると、娘は嫌がる。
これまでなら「面倒くさがっている」としか思わなかったけど、娘は決めていたことの変更を相手にお願いすることがとても苦手なのだ。それが、たとえお店であっても。
そしてまた「電話をしにくい」と言うことを私にも言いにくいのだ。
そんな娘の『やりにくさ』すべてが混ざりあった表情がそれだと、やっとわかった。
でも・・・伝わりにくいよね。
伝わりにくいし、違う解釈をされてさらに困るんだけど、娘の現実はそうで、娘は大変困っている。
職場を見渡し
考えを置き換えるようになって、職場の人たちを見渡すといろいろな発見がある。
ワンマンで周りを圧倒していく人。
子どもへの対応は素晴らしいけど、書類の締め切りが守れない人。
自分の考えがなく、周りにふらふらと振り回される人。
人からの評価が気になってしまう人。
娘と同じ、みんなできないこと、苦手なこと、言えないことがある。
今年新しく採用された養護教諭さん。
経験は少ないし、若いから管理職からは信頼を持たれにくいみたい。
言葉少ないし慎重になんでもするから時間がかかるけど、でも、こども園に働きにきた理由は心の中にしっかり持っていて、日々の努力からの成長がめざましい!
目立たないけど、よく見てあげるとはっきりわかる。
以前の私なら、勢いを「やる気」や「実力」と、慎重をその逆と捉えていた。
でも、養護教諭さんが業務内容の質問を事前にまとめたメモを見かけたり、保健雑誌のページに貼った付箋を見るとその人の仕事ぶりや行動、言葉から、その人のペースや苦手を感じて
「あ~、彼女なりに頑張ってる!」と思うことができるようになった。
今年50歳!
もうそろそろ
「自分が何をできるのか?」も大切だけど
「自分がどう人に、園に、家族に、友人に貢献できるのか?」と考えて過ごしたいと思う。
できるのか?と貢献できるのか?・・・・同じようだけど、きっと違う何かがあるんじゃないかな?
こんな風に思えるようになったのは、娘のおかげ。
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