娘が生きていくために
娘の自閉スペクトラム症(ASD)を理解する過程で、私の母もきっとASDだったんだろうと気づいた。
5年前に父が他界して、それ以来一人暮らしの母。
寂しいだろうと思うから、
「会いに行ってあげないと」
「電話くらいかけてあげようか」
そう思うけど、できない。優しくできない。
母
お嬢さん育ちの母。
母のよく言えば天真爛漫、悪く言えば自分勝手な性格や言動は、育ちのせいだと思っていた。
父は、頑固で融通がきかないけど、家族思いで愛情の深い人だった。
私が幼いころから、とにかく両親はケンカをしていた。
食卓で言い合いが始まるたびに、階下の父母の言い合いの声が自分の部屋まで聞こえるたびに、手の先が冷たくなって時間が止まる感じ。
このまま自分が忘れ去られてしまうような感覚に、いつも凍り付いていた。
私が子どもの頃は、専業主婦でいつも自分たちのそばにいてくれる母の味方で、大声でその母に怒鳴る父が悪いと思っていた。
でも、思春期を経て自分も成長し、意思を持ち周囲を見渡せるようになった時、母の「通じなさ」に気づいた。
いや、気づくことはできなかったけど、しんどさを感じた。
母娘ケンカをすると、論点がどんどんずれていく。
(私、何を言ってたんだっけ?)とわからなくなる。
わからなくなるし、ずっと文句を言われるから苦しくなって「もういい!」と逃げようとする。
すると、その「もういい!」に火がついてまた始まる。
そして、毎回最後には私に対して「偉そうになった」「馬鹿にされている」「誰も理解してくれない」と言い、責める。
もう、何が何だかわからない。
そして、父と母のケンカを見てみると、やはり同じ展開。
父もどんどん始めの話しから離れていくけど、さらに膨らむ母の怒りと押し付けられる絶望に疲れ果てていた。だから、大声で怒鳴って押さえつけるしかなかった。
でも、あの当時は発達障害なんて概念は一般的ではなかっただろうし、支援を受けずに社会生活を送っている人が本人の性格や育ちなんかとは別の原因により話しが通じにくい、困難であるなんて思いもしなかった。
だから、私たち家族の誰も母がおかしいなんて思わなかったし、それが「うちの家族、親」だと思っていた。
そんな両親は、まぁ、離婚もせず相変わらずケンカをしながらも歳を重ね、その間に私も成人し、結婚し親になった。
我が子がベビーの時代、頻繁に実家に帰ったり、何かと親(母親)を頼るママ友達を見て、羨ましいというよりどうしてそんな風にできるのか不思議だった。
頼らなかったわけではないし、母はそんな人だけど、昔の人らしい献身さとマメさで私の子育ても助けてくれようとした。
基本的にいい人なんだと思う。
だけど、なにか違う。
その「なにか」はいまだにはっきりと言葉にできない。
助けてもらったあとに、毎回「やっぱりお願いしなければよかった」「自分でがんばればよかった」とモヤモヤするのだ。
長い間、そのモヤモヤは自分の大人になれない感情のせいだと思っていた。
その頃、テレビ番組で
「子どもを持って、自分の親に『産んでくれてありがとう』が言葉にできない人間は、親になれていない証拠」
と、江角マキコさん(懐かしい・・・)が言っているのを観て、自分を責めた。
そして、単純ではあるけど、父母に会ったタイミングで言ってみた。
勇気を振りしぼって。
瞬間、言わなきゃよかった、と後悔した。
どうしてそう思ったのか忘れちゃったけど、後悔した。
でも、その時も後悔する自分が悪い、大人になれない、と思った。
遺伝
娘を育てる中で、たくさん経験してきた「どうして?」。
娘が中学生、高校生、そしてASDと診断されるまでの1年ほど前まで、娘と私の母娘けんかで何度も自分が何を言っていたのかわからなくなる経験をした。
母に似ている、同じだ、何かある、と思うようになった。
だから、昨年自閉スペクトラム症の診断を受けて娘のこれまでのことを納得できた、腑に落ちたのと同時に母についても自分の中で説明がつくようになった。
自閉スペクトラム症の遺伝性については、さまざまな考えがあるようです。
つまり親の遺伝子が単純に子どもに遺伝して自閉スペクトラム症になるわけではないということです。自閉スペクトラム症の遺伝要因は原因の一部にすぎず、自閉スペクトラム症のある親から、自閉スペクトラム症ではない子どもが生まれることもあれば、両親とも定型発達の場合でも自閉スペクトラム症のある子どもが生まれることもあります。
親から自閉スペクトラム症が遺伝する確率については、現在のところ不明です。親が自閉スペクトラム症だった場合で子どもも自閉スペクトラム症である確率も、調査によって数値がまちまちで確かな結果は出ていません。このことも、遺伝要因と環境要因の相互影響が複雑で、偶然性に左右される部分も多いことを示唆しているといえるでしょう。
LITALICO発達ナビ HPより
でも、母と娘を見ていると遺伝性は否定はできないよなぁ~と思います。
「ある」「ない」で片づけられない発達障害は、度合いの濃さによると言われます。
つまりグレーゾーンですね。
母もグレーゾーンで生きてきて、母なりにがんばって、努力して、でもうまくいかなくて「自分は悪くないのに」「どうして周りは理解してくれないのか」「自分はいつも・・・」と思って生きてきたのだろう。
そして、母の周囲の人は、違和感を感じながらも当時は分からずに遠からず近からずで距離を保ってきた人もいるのかもしれない。
距離を取れない私たち家族は、長くトンネルにいたように思う。
そして、父の苦労も知った。
時を経ても
そして、現在。
自閉スペクトラム症であろうと思う母とは、やはり気持ちを近づけることができずにいる。
他のきょうだいも、同じ思いのようだ。
決して母のせいではない、おそらく自覚していないことで、ひとり寂しそうに時間を過ごしている母を可哀そうに思うし、優しくできない、言葉や少しの気持ちをかけることができない自分を責めるときもある。
でも、勇気を振り絞って会いに行く勇気が、今はない。
そのあとに来る「やめておけばよかった」に、今は落ち込んでしまう。
そう考えていると、私の使命は娘を自立させることだと強く思う。
子どもの自立は親の役目だけど、それとは違う。
母のようにならせてはいけない。
私たち家族が感じたしんどさを、娘の周囲のひとたちに抱えさせてはいけない。
娘が自分の困難さを理解して、自分が必要としてそして、必要とされる小さなコミュニティでいいから築くことができる程度には、させないといけないと思う。
そうできれば、上手く生きられなくても孤独にはならないんじゃないか。
娘が生きていくために。
ひとり立ちを見届けることが、私の役目。
母は自分自身に、孤独に苦労している。
LINEしようかな。
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