岡田斗司夫さん・・・割と好きです。
感情をはさむとややこしくなり混乱してしまいがちな物事を、この人の解説や意見でひとつひとつ整理できて考えることができて、今までなかった捉え方や見方に気づくことができる。
そして、岡田斗司夫さんのすごいなぁ~と思うところが、的をえていてなかなか攻めた発信ながら嫌な気持ちにならない😊
視聴者からの相談に答えるニコ生(?あまりよく知らないので、すみません)の切り抜きのYouTubeチャンネルです。
下の動画、3″20からの「普通を追求するから苦しい」についてです。
相談内容は
「娘がADHD。学校では、周囲と合わずもめ事ばかり。でも、家族の中では、楽しくいざこざや困った問題も起きずに生活できている。個性的で、家族共通の趣味にも付き合ってくれる。将来を考えると不安」
というものです。
岡田さんの答えは
1.みんなと同じが幸せだと勘違いして、普通に育てようとするから難しい
2.今の幸せを100の基準と考えて、それ以上を望んだり欲張ったりせず、外に出さず、家族の中で生きていけばいい
3.将来を不安に思うなら、きょうだいを作って、家族で面倒を見ていく形を探せばいい
4.「発達障害」は医者の金儲けのために作られた新しい病名みたいなもの
まぁ、なんだか、文字にすると強烈ですね。
でも、私自身、この意見に対してわからなくもない。
まず1について。
この記事でも書いたように、娘が小さなころからひとりで過ごす姿を見て、
「寂しそう」「友だちができない」「周囲と上手くやれていない」と私は思い、ほかの子たちのように友だちと過ごすことが娘にとっても、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことなのにそれができないことを悲しんだりもしていました。
でも、それは娘の心の中にとっては勘違い。
普通に育てようとした結果、私自身も娘も追い込んでいた。
次に2について
私も含めて、み~~~んな「今よりもっと」と考える。
私も欲の塊です💦
そして、親は我が子においては自分自身に対して以上に欲張りになります。
☆もっと友だちができますように
☆もっと勉強ができますように
☆世界で一番幸せな人生を歩めますように
「もっと」と言うのは他と比べるから成立することで、そして、比べると今を見失う。
自分自身のことで見失うならまだいいけど、子どものことで見失ってしまうと、子どもがどんどん置いてけぼりで、不幸せになっているかもしれない。
もしかして、100だったかもしれないものを失ってから、気づいたりもする。
これも、よくあることです。
我が子の今が幸せならいいはずなのに、
「もっと幸せになりたいと思っているはず」と、親の暴走が始まる。
私もそうだった。
3について
2も含めてですが、親なので我が子の将来を不安に思うことは当たり前。
そして、不安になる理由は、やっぱり
「自分たちがいなくなった後、残していくこと」と
「お金」
ですね。
経済的に自立できないかもしれない我が子を、自分たちがいなくなった後にどうしてあげればいいのか。
いわゆる障がい者を家族に持った最大の悩みです。
私も、そんな先のことだけど、考えないわけでもない。
でも、この動画では、普通に育てなくていい(育てられない)子を、普通の子(人)の将来に当てはめようとするから当てはまらなくて、その子の将来が不安になるんでしょ?と、岡田斗司夫さんは言ってるのですね。
普通の人のように、会社に入ってバリバリ仕事して、仲間にも恵まれて、そのうちパートナーを見つけて結婚して、子どもが生まれて親になって・・・・という「普通」に。
だって、その普通の自立に我が子が到達すると思って育ててきてるんだもん。そうならないかも、と思って悩むわよ。ね~!
でも、岡田さんのこの動画を見て、もう「考え方と想像する未来を変えるべきなんだな」とも思えました。
実際、娘は、家(自宅や家族)から出て、友人や社会と関わっていくことをほとんど望んでいない。
娘は自分の将来について
「できるだけ働きたくない。できれば大学に残ってずっと研究をしていたい」と言っています。
そんな娘に、
「そうだね!弟がふたりもいるんだから、あなたは無理なことせずに、家にいてふたりのお世話になればいいよ!」
なんてことは、人生があって選ぶべき選択が待っている弟ふたりに言えない。
どっしり娘(姉)を背負わせることは、弟ふたりの親としてはできない。
だから、親は不安になるんですよね。
でも、確実にやってくる未来に、そんなことばっかり言ってられないので、娘が「普通」の自立が難しいことを想定して、開き直って普通ではない形で経済的かつ生活の自立を目指すしかない。
収入を得るためには働かなければいけないけど、娘はとてもじゃないけど、企業に一般的な就職をして働くことは困難だとわかっているから、それならば自営すればいい。
自営で、好きな仕事で自分を養えるくらいであればそれでいい。
これから先、どんなことが自分(娘自身)の糧になるのか、自営できるのか、それを探す手伝いを親としてサポートしていくことが必要なのかもしれない。
そして、少しだけ、きょうだいとして手を貸してもらえたら、言うことないかもしれないね。
最後に4について
これについては、私もこども園で働き始めたときにほんとうに思いました。
こどもの個性や性格、その時の状況での本人の感情を無視して、大人の便利の為にフォルダ分類しているような違和感を感じて、何度腹を立てたことか。
「グレーゾーンなんて性格の違いのことだろ!」
「誰だってそんなときもあるだろ!」とかね。
いまだに感じることは多い・・・。
教育者の主人は、自分の娘に対しても
「その行動は、〇〇だね」
「ASDの子はそういう傾向があるから仕方ないね」など、分類して扱おうとすることが度々あった。 その度に『自分の娘なのに、冷たい捉え方しないで!』と何度もケンカをしました。
でも、主人は、決して娘を見放しているのではなく、分類して考えることで本人がどんなことに困っているのか、何が難しいと感じるのかの理解がしやすくなる、と話します。
たしかに、こども園勤務5年目を迎え、その間に娘のASDの診断を受けて発達障害への理解を深めるうちに、やっぱり個性だ、性格だと、そうも言っていられない状況も目の当たりにしてきました。
私自身、娘とどこまでいっても交わることのない感情も経験したし、親であっても止められない娘の行動や思考に嫌気がさしたことも数知れず。
そして、それは長男、次男では感じることはないという違いも経験してきた。
だから、これについては、岡田斗司夫さんが言う「医者の金もうけのための病名」だけでは説明がつかなくなってきているのが現状かな?と思うようになった。
でも、「障がい者」という認識の中で生活は送っていきたくないなぁ~とも思います。
ん~~~~~、なんだか難しいね。
まだまだ、先は長い。
でも、難しくて長くて見えない先だからこそ、いろいろな意見や考え方を聞きながら、娘を娘として見つめて寄り添っていくことが、一番の近道かもしれない。
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