カウンセリングは万能じゃない

ASDの娘と向き合って
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 私と娘、別々ですがカウンセリングを受けています。

私の場合は、職場の心理士が、私の状況を配慮してくれて受けることになったので、少し違うのかもしれませんが。

自分が受けてみるまで、悩みを解決してくれて方向性を示してくれて、カウンセリングって万能だと思っていた。

 初めは、聞いてもらうことが解決だと思っていたし、先生から返ってくる言葉が正解だと思っていた。だから、園に月に2回やってくる心理士のその先生を、娘との出来事があるたびに待ちわびていた。

そして、泣きながら全て話して、言われたように自分の考えや行動を変えることが娘のためになると思っていた。

でも、なんだか、いつからか先生の顔いろを見ながら話すようになっちゃって。

「こんな風にいうと『ひどい人間』って思われるかな?」
「この話は、先生がいいように思わないんじゃないかな?」とかね。

そんなんだから、先生と話すことに緊張するようになった。

「どう話しても、先生の解釈になっちゃうんだろうな~」って。

そしてまた、先生の態度(というと失礼にあたるのだけど)も、だんだんと露骨になってきて。

目を見て話すときと、目を逸らされるとき。
逸らされると「あ、これはそぐわないんだね」と感じてしまって、話を続けられなくなる。

私の気性なのかもしれませんが、気になってしまう。

だから、最近では先生の来園に構えてしまう

「何を話そう」「どういえばいいかな」

でも、何も話さないとか「もう大丈夫」的に話すのは、それもまた申し訳ない気がして、やっぱり娘のことを話すのだけど、話した後は決まって落ち込むようになっている。

 私がそう感じるようになって、それまでカウンセリングに通う娘に言っていた

「いろんなこと話せばいいのに」「あんちゃんや周囲の人に言えないことを話せるんじゃない?」

ということは言えなくなってしまった。

 そして、言えなくなったことで、私が娘のことをカウンセラーに解決してもらおうと思っていたのかな~と、思うようにもなりました。

 娘が実際にどんな話をしているのか、何も話していないのかはわからないけど、でも自分が実際にカウンセリングを受けたことで、カウンセリングもカウンセラーも万能ではなく、そして解決や理解は本人と家族がしていくしかないということを、改めて理解しました。

そのころからかな?
娘がいろいろと話すことが増えたように思います。

来週、また心理士が園に来ます・・・・。あはは。

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