娘の大学受験をふりかえる

ASDの娘と向き合って
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 よちよち歩きの頃から動物が大好きな娘は、小学校4年生の時に読んだ「動物のお医者さん」で北海道大学で獣医になれることを知った。

それ以来、娘の将来の夢は「獣医」になった。

そして、娘は、中学受験をして中高一貫校に入った。

たまたま受けた無料の小学生の全国模試のようなもので、たまたま好成績が出た。ノリでそのまま小学校6年生にさしかかる頃に塾に通い始めて、1年足らずの受験で見事合格した。

だから、高校受験はしていない。

とはいえ、6年間の在学中の勉強はたぶん大変だったと思う。

当時わかっていなかった聴覚情報処理障害(APD)で聞き取りが悪い中、自閉スペクトラム症(ASD)で対人に苦労して、なおかつ受験対策をしない個性の強い各教科担当の先生の授業を受けつつ、年中学校行事で娘を含む学生はみんな忙しかった。

中等部の頃はまだみんなのんびりしていたけど、そんな学校だったから、高等部が見えてくるころには塾に通い始める子が増えた。
(私が知らなかっただけで、みんな中学部から行っていたのかもしれない)

娘に通塾を尋ねたけど、

「行かなくて大丈夫。自分でちゃんとするから必要ない」といつも言った。

私はその言葉を真に受けて、娘は通塾せずに通信教材だけで学習を進めた。
実際、成績は上位で、大の苦手な数学であってもクラスの真ん中くらいの成績は取っていた。

そうこうしているうちに、高1の夏頃?に娘は腎臓病を発症。
それ以来、高校3年間で4回、合計1年弱の期間、入院した。

入院で欠席して初めて分かったことが、この学校は出席日数が全てで、入院の病欠も実は欠席カウントだった。
一番入院期間が長くなった高校1年の学年末、てっきり病欠で進級できると思っていたら、何の通告もなく突然留年の通知が来て驚いた。

それはそれは驚いた。

でも、娘のこれまでの授業態度や課題を全て提出していること、入院と入院の間の課題でさえサボることなく提出していること、学校での娘の姿勢を評価してくだり、これで留年はあまりに理不尽だと、学年の先生方が学校に嘆願してくださって、特例中の特例で進級が認められた。

学校創立以来、初めてのことだったらしい。

そのくらい娘は頑張っていた。

でも、進級はできたけれど、やっぱり重なった入院期間は、受験には大きく影響した。
滑り止めを含めた志望大学を相談しようにも、入退院と治療でそれどころではなかった。
もちろん成績は、国立難関大学の北海道大学の獣医科なんて、冗談でも言えない状況になっていた。

主人とは、そもそも本当に獣医になりたいのか?いまだに北海道大学に行きたいのか?疑問だった。

その点も話せないまま時間は過ぎた。

そして、高3の春の4度目の入院のあと、話した。

でも、娘は「北海道大学 獣医学科」の一点張りで、それを聞いて、私はこの子が頑張りたいなら応援すればいいし、後押しするのが私たちができる唯一のこと、と思った。

そのままセンター試験を受けて、北海道大学へ!・・・・なんて、やっぱり行けるわけありませんでした。

秋頃に、見かねた主人が、浪人も含めて娘と話し合い、やっと
「自分でもずいぶん前に無理だとわかっていた。でも、言えなかったし、言いたくなかった」と。

言えなかった、言いたくなかった理由は、まずあまりにも周囲に「北海道大学 獣医科」を言いすぎてきたために取り消しができなかった。
次に、進学校でもある娘の学校は「国立 理系」以外は大学ではない、という考えが学生の中に根付いているのだそう。
だから、早い段階で無理だとわかったし、好きな文学の方面に進みたいと思っていたけど、友人の手前、落ちこぼれと言われるような進路変更はとてもできなかった、と。
そして、塾には本当は通いたかったけど、費用がかかるし、自分でなんとかしないといけないと思っていた、と。

なんてばかばかしい・・・と言いたくなりますが、娘はその中で行き場を見失っていたし、私は娘の様子に違和感を感じながらも「応援は親のできること!」と、塾に通いたい気持ちにも全く気付かず、矛盾したことばかりで1ミリも噛み合っていませんでした。

今、振り返ると、この受験についても、間違った支援をしていたわけです。
もう少し、違うかかわり方で娘に進路の希望や、現実との照らし合わせ、周囲との関係を掘り下げて聞いてあげることができていれば、全く違う進路決定ができたのかもしれません。

そうして、国公立にはもう間に合わないし、浪人はモチベーションを保てるか不安があると、やっと私学文系への方向が決まり、腎臓の治療が落ち着いた高3の10月から予備校に通い、現役合格ができました。

今回の受験についても、短期間のドタバタの中でも世間的には名門と言われる大学に合格した娘に驚きましたが、娘自身は大学1~2年頃までは、劣等感の塊でした。
いや、大学3年を休学当初もそうだったかな?

聴覚情報処理障害、自閉スペクトラム症がはっきりして、学校から離れ、友人から離れ。

いろいろなことが娘の中で分類されるようになり、改めて自分が文学が好きなこと、日本語にとても興味があること、そして、今の大学の教授のゼミがとても楽しく、自分はこの大学に来て学べる事が出来て幸せだと思うようになったそうです。

そして、一体何にしばられていたのか?
「国立 理系以外大学ではない」が、どれだけばかばかしいことであったか。
を、思い知ったと、笑います。

なんとなく大学に行っている学生も多いと聞く中で、ずいぶん回り道をしながらでも、意味を見つけて通う娘はすごいなぁ~、と思います。

さて、次に娘を待つのは、いよいよ社会に出る就職。
自閉スペクトラム症と聴覚情報処理障害でもストレスが少なく、周囲への迷惑が少ない仕事。
娘は、辞書の編集など日本語に関わる仕事に就きたいと考えているみたい。でも、カウンセラーにそのことを相談したら「向いてないね!」と一蹴されたそう💦
でも、それにもめげず編集社を調べているようで、少しは強くなったかな?あはは。
大学院での研究も少し考えているみたいで、相変わらず自分で考えて、親にあれこれ言ってはこないけど、調べたり教授に相談はしているみたい。

今度こそ、娘の気持ちに寄り添うことができる支えができたらいいな。

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