大学を休学して、本当によかった

ASDの娘と向き合って
スポンサーリンク

 先週、娘の中学、高校時代の同級生のお母さんたちとランチ会をしました。
コロナもあり、お会いするのは3年ぶり。
とても楽しい時間を過ごすことができました。

娘の中学、高校時代のこと

 娘は、中学受験をして、国立の中高一貫校で6年を過ごしました。

 受験なんて考えてもいなかったのですが、小学5年生の冬に、たまたまお友だちに誘われて受けた無料の全国模試で好成績を取り、何となくの流れで受験することになりました。

ちょうど私の実家近くに国立の中高一貫校があり、私も馴染のある学校だったので志望校はそこに決定。

私立を併願するほどではなく、そこに落ちたら地元の公立中学でいいね~、程度の受験でした。

お友だちに勧められた中学受験の塾に入り、1年がんばった甲斐があり、見事合格!

14歳の春から、電車通学で地元を離れ、通学することになりました。

 本当は小学生の高学年ころから、友だちとの関係で心配することが増えていました。
今、思い返すとASDのこだわりや、空気の読めなさが影響していたんだな、と思いますが、あの当時は思ってもいなかった。

だから、流れに任せての受験だったけれど、中高一貫校に合格して地元を離れることになったことに、私は正直ほっとしました。

でも、ちょうど思春期に入る中学生という年頃。
私が安心したのも束の間、やっぱり中学2年の終わりころには特に女の子と上手くいかないことが増えました。
また、自主性を重んじる学校で、学生主体の行事が多かったのですが、その度に

「あの子が悪い!」
「あんなことしたくないのに」

と怒ってばかり。

 まだ、ママ友もいなくて娘の話しを聞くことしかなかったので「いじめにあっているのかな」「期待外れの学校だった」とずいぶん落ち込んだものでした。

そんな娘の様子なので、参観や懇談に行っても私自身がほかの保護者に打ち解けることができず、定期的に開催されるレストランを貸切る形での母たちの食事会への参加も、居心地が悪くだんだんと減っていきました。

スピンオフ会( ´艸`)は変わらず優しい

そんな中食事会を逃げて、こっそり集まってランチをしていたのが、このお母さんたち。
窮屈に感じているのが私だけじゃなかったんだ、って嬉しかったな。

そして、不思議なもので、子どもたちも仲が良く。
娘以外は3人とも男の子ですが、6年間を通していい関係を続けてもらえました。

今はそれぞれ大学に進学して3年。

でも、今回のランチ会のお誘いを受けたときは、正直「行きたくないな」って思った。

ASDでAPDで、大学を休学していて、ほとんど閉じこもりきりの1年間を過ごしている娘。
春からの不安もあるし。

それに比べて、みんな日本のトップ大学に進学して、さらに主席を取っているということも聞いていました。
会って、話を聞いたら、また落ち込んじゃうなぁ~って。

でも、会ってみれば楽しい時間で、娘のことのすべては話せなかったけど、気遣ってくれて、そしてまたみなさんもそれぞれに困難を抱えていて。

 お友だち3人のうちのひとりは、高校2年から不登校になり、3年まで在籍はしたものの結局卒業の単位は取れず、大検を受け現在は地方の国立大学へ。
ひとり暮らしはできていますが、授業以外はほとんど閉じこもり切りの生活だと。

あとのふたりは、壁にぶつかりながらも、夢を現実にしながら頑張っていました。
羨ましく思いますが、それぞれに上手くいかないこともあるようです。

人を見て安心するわけじゃないけれど、でも、みんな一生懸命頑張ろうとしてる、って思いました。

きっと私も「行方知れずのひと」だろうな

 娘の同級生に、中学1年の初めから、何かというと学年の代表やリーダーになっていた男の子がいました。

その子の名前を知らない保護者はきっといなかったんじゃないかな?
宿泊学習、体育祭、学園祭、音楽祭に劇祭、あらゆる学校行事の中心的存在でした。

でも、提出物が出せない、期限が守れないのがその子の欠点で、高校からは毎年毎年、留年ギリギリ。

みんなで大騒ぎして手伝って、おまけに先生までも手伝ってなんとか進級していました。

リーダーシップと留年ギリギリのそのギャップに、当時からなんか変な子だな~って思っていました。

そんな160人の常に中心にいた彼は、今は誰ともSNSがつながっていないらしく、今どうしているのかわからない同級生のひとりだと娘が話しました。

今の私には彼がきっとADHDなどの発達障害だったのだろうと想像できます。

中学、高校という枠組みから出て、当たり前のように自立を求められて、できると思っていたらなんだかどんどんうまくいかなくて・・・娘と同じく彼も苦しんでいるのだろうな、と。
きっと、彼のお母さん、家族もいろいろ苦労された、されているんだろうな、って思います。

良くも悪くも6年間を共に過ごしたので、学年のつながりは強いようです。
SNSには複数のグループがあり、また定期的な集まりもある。

娘がどこまでその中にいるのかはわからないけど、この間、

「みんなからすると、私も行方不明みたいなものだろうな」と、言いました。

その言葉を聞いて、こんなに一生懸命苦しんでいても、発信していなければ「行方知れずのひと」。

辛いよね~。

きっと、娘のように彼も彼なりにがんばっているのです。

最近の娘

 あと10日ほどで、大学に戻る娘。

最近の娘は、私の心配をよそになんだか生き生きしている。
大きな変化はないけれど、娘なりに少し「変えよう」としていることを感じます。

子どもたちのシルエット

ASDに対して向き合わない娘に腹を立ててもいましたが、最近会話が多くなった娘から

「ASDノートを付けている」と聞きました。

 過去に自分が辛かった出来事を書き出して、他者視点で見てみて「あんな風に悲しまなくてよかったかもしれないな」とか、苦手な人の苦手がどこなのか、なぜなのかを書き出してみて自分の境界線を知ってみたりしているそうです。

 書き出すためには思い出すことも必要で、時々しんどくなるらしいけど、その時は作業を中断して気分転換の方法を探してみたり。

 娘なりに「自分自身」に向き合い始めているのだな、と思います。

やっぱり、休学してよかった。

 実際、授業が始まれば大きな壁にぶち当たるでしょうが、でも、この1年の休学が娘にとってきっといい時間で、必要だったとわかる過ごし方ができると、信じて見守りたいと思います。

 ここまでお読みいただき、ありがとうざいました。
コメントなどいただけたら、励みになります。
よろしくお願いします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました